傾向

28歳ブサイク。彼女いない歴=年齢。将来どうすればいいのかわからない... ツイッターアカウントはこちら@udon_zuruzuru

精神病と中学生

つい最近まで精神科に通っていた。

毎週精神科に通って薬をもらっていた。

結論から言うと...効果はほとんどなかったと思う...

少なくとも「病気の治療」という意味においては...
(ただ先生はとても良い人だった...)

今回はなんとなく僕の病気について書きたい。

僕が中学3年生(高校1年生?)の頃からずっとかかっている病気だ。

ただ...僕の病気に興味がある人なんているのだろうか?

でも悲しいことに僕にはもう書くことがないのだ。

自分のプライバシーや過去を切り売りするしかないのだ。

それを使ってなんとかおもしろいものを書くしかない...

では始めよう。

僕の病気について書くには中学時代の話をしなければならない。

僕にとって中学時代は本当に苦しい3年間だった。

1年生の時、僕は言動を友人にひどくからかわれた。
「中村は変だ」「馬鹿だ」「喋りがおかしい」
そんなことを言われた。
休憩時間に僕を含む4、5人で話をしている時に、僕が何か話し始めると
その内容がどんなものであろうが「おかしくね(笑)?」「矛盾してね?」と揚げ足をとられ、からかわれた。

 

最初は僕も自分がイジられるのを楽しんでいたように思う。

しかし徐々に度が過ぎてきて「僕が何を言おうが、僕の発言というだけで全否定されたり、無理矢理矛盾を見出されてからかわれる」ようになってからは、ただただつらいだけだった。

あまり認めたくはないがこれは「いじめ」だろう。
自分がいじめられていたという事実はなぜ認めるのが恥ずかしいのだろう?できればあまり認めたくない事実だ。

両親や兄弟にすら言ったことがない。それは「心配させたくなかった」というようなかっこいい理由ではない。単純に「いじめられていた」という事実がバレるのが恥ずかしかったからだ。かっこわるかったからだ。

自分という人間が集団の中で劣位なポジションに置かれ、からかわれて、見下されたという事実を認めたくなかったし、周囲にも隠しておきたかった。

そして、僕自身ショックだった。なぜ僕がいじめられなければならないのか?僕という人間はそこまで劣った人間なんだろうか?

たしかに僕にもからかわれる原因はあった。言動がおかしかったし成績も悪かったし顔も変だった。そして、どこかでイジられるのを期待している自分もいた。イジられるのを待っていた。僕が変なことやギャグを言うと周りが注目してくれるのが嬉しかったし、周囲が僕に興味を持ってくれるのが嬉しかった。

ただそれも最初だけだった。愛もなく単にイジられるだけでは、イジられる側は楽しくもなんともない。

僕は次第に彼らと話すのが怖くなってきた。彼らと話すたびに僕はビクビクするようになった。何か話せば、またからかわれてしまうのではないか?そう思うと怖くてたまらなかった。

僕はどうすればいいのか必死に考えた。思いついた答えはとてもとてもシンプルなものだった。

 

「誰とも喋らないようにする」
なんて原始的なんだろう。馬鹿みたいな答えだ。

でもそれぐらいしか思いつかなかった。

僕は明るい子どもだった。明るくひょうきんでウケを狙って変なことを言うこともよくあった。

そこが僕がいじめられる原因でもあった。

僕は自分が喋るからいじめられるんだろうと思った。僕が喋らなければからかわれることもないだろう。そう思った。

そして僕は誰とも喋らなくなった。もちろん「おはよう」と言われれば「おはよう」と返したし、必要最低限の会話はした。でもそれ以上は話さなかった。

僕は誰とも話さなくなった。

そして、僕はいじめられなくなった。

変化は明確だった。

そりゃそうだ。僕は今まで言動をからかわれてきた。
僕が話す。僕の言動がからかわれる。いつもその流れだった。

僕が喋らなくなれば、からかわれることがなくなるのも当然といえば当然だった。

周囲からは心配された。
「中村くん元気なくない?」「中村どうしたの?」
突然話さなくなった僕に対して周囲がそう思うのも当然だった。

そういった周囲からの問いかけになんて答えていたのか全く記憶にない。たぶん「大丈夫」などと答えていたんだろう。
全然大丈夫ではなかったけど。

でも、からかわれないこと、周囲から馬鹿にされないことはすごく嬉しかった。神様はいるんだと思った。

そんなことをどれくらいの間続けていただろう?たぶん1、2ヶ月だったと思う。いじめられることはなくなった。

そして、いつの間にか僕は周囲から「真面目な人間」だと思われるようになった。でもそんなバカなことがあるだろうか?成績は全く変わっていない。ただ口数が極端に少なくなっただけだ。たったそれだけで「バカキャラ」が「真面目キャラ」にまで変わるなんて...

僕はいじめられなくなった。本当に嬉しかった。
いじめられなくなって数ヶ月経った時僕はあることに気づいた。

 

 

僕はひとりぼっちになっていた。

 


当然といえば当然だろう。僕は誰から話しかけられても無言か、単調な返事を返すだけだった。そんな人間に誰も話しかけなくなるのは当然だ。人が誰かに話しかける時、話しかけた方は必ず何かしらの期待をしているものだ。

笑い...安心感...楽しいリアクション。人は普通なにかを相手に期待して話しかけるので、それが得られない可能性が高い相手には話しかけないのは当然なのだ。

僕は孤立した。朝学校に来てから家に帰るまで誰とも話さない。
ずっと黙ったままだった。

そしてそんな状態のまま僕は中学二年生になった。

寂しい。
誰も僕に話しかけてくれない。

話しかけられすぎると鬱陶しかったりめんどくさかったりいじめられたりでストレスになるのに、誰からも話しかけられないとそれはそれで寂しくなる。
うまくいかないもんだな、と思った。

でも前のグループに戻るのは嫌だった。前のグループに戻れば僕はまたいじめられるだろう。集団の中で劣位な立場に置かれるだろう。
またからかわれるのは嫌だった。僕はもう誰からもバカにされたくなかった。惨めな思いをしたくなかった。

でも1人は寂しかった。

僕は居場所を探した。

見つけた。

クラスにオタクの集団がいた。彼らはいつもマニアックな漫画についてよくわからない会話をしていた。そして3、4人のグループでぼそぼそと平和に会話をして笑っていた。

なんて平和なんだろう。彼らは誰かを傷つけたり馬鹿にすることになんの興味も持っていないようだった。彼らは平和にひっそりと好きな漫画の話をしていたいだけなのだ。

僕はそのグループに入りたいと思った。彼らの一員になって学校の中に居場所を見つけたいと思った。

僕はブックオフで彼らが好きな漫画を買った。たしか全巻買ったと思う。

正直何が面白いのかわからなかった。興味がない漫画を読むのは苦痛でもあった。

でもとりあえず全巻読んだ。そして彼らの会話に勇気を持って入っていった。

正直どんな風に彼らのグループに入ったのかあまり覚えていない。
ただ、あまりにも最初からグイグイいくと露骨すぎて恥ずかしいし、気持ち悪いので、徐々に入り込んだような気がする。

「たまたま読んだんだけどあの漫画おもしろいよね」

「□□というキャラがおもしろいよね」

たぶんそんな感じで自分なりに自然に話しかけたんだと思う。

彼らは「え!?中村くんもあの漫画好きなんだ!?へ〜!」という感じ
で自然に受け入れてくれたと思う。

僕はあまり人見知りをしない性格だと思う。話し方がおかしかったり論理はぐちゃぐちゃだけど、知らない人に話しかけたりするのは、それほど苦にならない方だ。

数日後僕は拍子抜けする程あっさりと彼らのグループに受け入れられた。

休み時間はいつも彼らと漫画の話をした。

その漫画自体にはあまりおもしろみが感じられなかったが、少なくとも「居場所がある」「1人じゃない」ということは素晴らしいことだと思った。朝学校に来たらとりあえず話せる人がいる。それだけでほっとした。

彼らは学校が終わると、よく家に集まってゲームをしたり漫画の話をして遊んでいたようだ。

僕は彼らと遊ぶことに全く興味がなかった。彼らと遊びたいとは全く思わなかった。とても穏やかで人を傷つけない良い人達ではあったけど彼らが心の奥底で何を考えているのかはよくわからなかった。

1つの漫画やゲームにあそこまで真剣にのめりこむことが僕にはできなかった。
僕はどちらかというと本に興味があったし、もっと言うと「人間が何を考え何を思って毎日を生きているのか...」そんなことに興味があった。

中学を卒業してから彼らと一度も会っていない。僕は彼らのメールアドレスも電話番号も何も知らなかった。知りたくもなかった。そして彼らも僕に対してなんの興味も持っていなかった。

僕は学校の中に「とりあえずの居場所っぽいもの」が欲しかっただけだし、彼らとしては「害のない人間」がグループに加わることにさほど抵抗がなかった、ただそれだけのことだったんだろう。

僕は中学を卒業した。

卒業式の後、たしかクラス皆でどこかに集まって、カラオケだかご飯だかに行くみたいな話になっていた気がする。

僕はその集まりに参加せず、卒業式が終わると、すぐに1人で家に帰った。僕は大人数で話すのが苦手だった。今でも苦手だ。
卒業式の後皆で集まって一体何を話すっていうんだろう?僕には思い出なんて何もなかった。消したい過去しかなかった。

自転車ですぐ家に帰った。1人で学校から帰る時の気分をなんとなく覚えている。
寂しさと誇らしさ。

たぶん卒業生の中で1番最初に校門を出たのは僕だと思う。みんな別れを惜しむように学校の中で友達と思い出を語り合っていた。友達がいない人もなんとなく「これから何かイベントが起きるのか...」と期待する感じでそわそわしていて、なかなか教室を出れずにいた。

僕は寂しさと、どこかに誇らしさを感じていた。
「友達が出来ない自分の性格」を愛おしく思った。
人と距離が近づくことによって、今まで敬語だった人がタメ口で話しかけてくるのを恐れていた。
仲良くなると彼らは僕に本音を言うかもしれない。
僕の会話の矛盾点やおかしな点をからかってくるかもしれない。
僕の人格を否定してくるかもしれない。
それが怖くてたまらなかった。

僕は人と距離をとりたかった。

でも誰かに自分のことを理解して欲しかった。
誰かに近づいてきて欲しかった。

「僕は孤独だ。全く友達が出来ずクラスの集まりにも参加せず、
いつも1人だ」
孤独な自分がかっこよくて、僕だけが、この学校で僕だけが全ての真理を理解している、神から選ばれた特別な人間であるような気がしていた。
僕以外の人間はゴミだと思った。

「誰かが僕の特別さに気づいてくれていたらいいのに...」
そう思った。
僕の優しさ、僕のおもしろさ、僕の頭の良さ...
学校の中で1番おもしろいのは僕なのに...
先生を含め学校にいる全員がデタラメでいい加減な嘘つきにしか思えなかった。

でも彼らの方が僕より見た目がまともで成績も良かった。
社会に認められるのは僕より彼らのような人間だと思うと悲しくなった。
みんな僕の言葉より彼らの言葉を信じるだろう。
そう思うとむなしかった。

この学校で僕だけが世界を理解している、いや僕は世界中で数人しかいない特別な人間の1人なんだと思った。
それを誰も気づいていないことが悲しくてむなしくて憎らしかった。

僕は家に帰ると2階に上がって、自分の部屋の窓を開けて外を眺めた。
いつもと変わらない景色。目の前にはいつもの見慣れた街並みがあった。家の前の道を同じクラスの女の子が自転車で通った。彼女はとても綺麗な女の子だった。

結局3年間を通して彼女と一言も喋ることができなかった。
もし一言でも喋ることが出来ていたら...僕らはお互いのことが理解できてひょっとしたら親友になっていたかもしれない...

でも結局はいろんな偶然や必然が、僕らに知り合う機会を与えなかった。

人生は偶然に支配されている。

というかそもそも...僕は中学時代に一言でも女の子と喋っただろうか?
喋った記憶が全く無かった。

これが僕の中学時代。何も起こらなかった。

いじめられて、他人のことが怖くなっただけの中学時代。


僕は高校に入学した。とてつもなく偏差値の低い高校だった。

正直...病気にかかったのが中3の時なのか高1の時なのかどうしても思い出せない。

まあいい。それはあまり重要なことではないから。

とにかく...病気の話だ。

僕は2年ぐらい前から精神科に通い始めた。

病気に耐えきれなくなったからだ。

医者に病気の話をした。

医者は僕の話を聞き終わるとこう言った。

「珍しい病気ですね...非常に興味深い...」
「中村さんは,,,おそらく...心の病気というより...脳の病気ですね...」
「元々、脳になんらかの奇形があって...そういった考え方になるんだと思います...」

僕「...つまり...先天的に...僕の脳がおかしい...ということですか?」

「そうですね...おかしいというか...奇形ということだと思います...」
「精神的な問題だけだとそんな変わった症状にはならないと思うので...」

僕はこの言葉を聞いた時少し嬉しかった。
僕の病気が認められたと思った。

そして考え方や精神的な問題というよりは、元々の脳になんらかの原因があると言ってもらえたのが嬉しかった。
「君が悪いんじゃない。君が馬鹿なんじゃない。ただ生まれつき脳が少しおかしいだけなんだ」
そんな風に言ってもらえた気がした。

それから約2年間僕は病院に通い続け、薬を飲み続けた。量を増やしたり、より強いものに変えてみたりもしたが...一瞬治ったかに思えた時期もあったが結局は再発して根本的な解決にはならなかった。

さて、そろそろ具体的な症状を書こう。

もし...いないとは思うけど「僕も同じ病気です」「私も」という人がいたら教えてほしい。そしてもし...すでに病気が治っているのなら,,,どうやって治したのか教えてほしい。

僕の病気はいささか変わっている。

それは「調子が良い日と悪い日が【必ず交互】に訪れる」というものだ。こんな不思議なよくわからない思い込みに中3(高1?)の頃からずっとかかっている。

意味がお分かり頂けるだろうか?

わからないと思うので説明させてほしい。

まず「調子が良い日」というのはどういうことなのか。

調子が良い日とはつまり...頭が正常に働いていて、その日に僕が下した判断、話した内容などが【すべて正しく、自分の中で妥当である...と思える日】ということだ。「調子が良い日の僕」は自信に満ちている。他人からどう見えるかはまた別の話だが、少なくとも、自分の判断に自信が持てる...と思える日ということだ...

わかりづらいな...

それに対して「調子が悪い日」とはどういうことなのか。
「調子が悪い日の僕」が下した判断、喋った内容...【それら全てが間違っている...と思える日】ということだ。

...絶対伝わってないな。もう少し説明させてほしい。

調子が良い日というのは「他人からどう見えるか」は別にして、その日の僕の物事の判断や言動は「全て正しい」と思えるのだ。

全て正しいというのは「客観的に見て正しい」ということではない。
少なくとも僕の中では「正しい」と思える...ということだ。僕が持っている能力を全て出せる(と思える)日とでもいうのだろうか。

僕が僕自身でいれる日...という表現が1番適切な気がする。

その日に着た服、ご飯屋さんで選んだメニュー、歩いている道、乗った電車の車両、書店で買った本、コンビニで買ったお菓子、職場の上司との会話、その日考えていること......とにかく全てが自分の中で「正しい」「間違っていない」と思える日なのだ。

それに比べて「調子が悪い日」というのは、頭に浮かんだこと、上司との会話、 僕の口から発せられた言葉、ご飯屋さんで選んだメニュー、コンビニで買ったお菓子、書店で買った本、あるいは「その日に書店に行くという選択をしたこと自体」、とにかく、その日に僕が下した全ての判断、僕の言動の全てが「間違っている」「本当の僕、調子が良い日の僕ならこんな判断を下さなかった」と思えてしまう日ということなのだ。

つまり、僕が僕自身ではいられない日...とでも言おうか。

これで少しは伝わっただろうか?

たぶんこういう人は意外に結構いるんじゃないだろうか?

「なんとなく今日調子良いな...」とか「なんか今日調子悪いな...」と思ってしまうことは皆さんもよくあるのではないだろうか?

そして1日の最初にそう思ってしまうと、その思い込みによって、なんとなく1日全体が「調子が良い日」「調子が悪い日」のどちらかになってしまう。

そして家に帰った後「今日は何をやってもうまくいかない日だったな...また明日から頑張ろう」などと考える。

これは意外とありがちなパターンなのではないだろうか?

僕の場合は違う。

僕の場合は【調子が良い日と調子が悪い日が必ず交互に来る】のだ。
この恐怖を分かって頂けるだろうか?

つまり今日が月曜日だとして(実際に今日は月曜日だ)、調子が良い日だとすると(実際に今日は調子が良い日だ)明日の火曜日は「調子が悪い日」なのだ。そして水曜日は「調子が良い日」、木曜日は「調子が悪い日」、金曜日は「調子が良い日」...これの繰り返しだ。

なぜ「必ず交互に来る」のかはわからない。なぜ僕が勝手にこんな意味不明な思い込みによる「ゲーム」のようなものを始めてしまったのか、自分でもよくわからない。何かこれを始めることでメリットでもあったんだろうか?

そして、調子が良い悪いの【切り替わり】は午前0時だ。

例えば、調子が良い日の23時ぐらいに友人とLINEでやりとりをしていたとする。やりとりが長引いて23時50分ぐらいになると僕は怖くてたまらなくなる。0時を境に「調子が悪い日」に切り替わってしまうから。

今の僕は【調子が良い日】だから友人とのやりとりにもある程度自信が持てる。文章の内容、顔文字の有無、スタンプの使い方、全て【的確だと思える】。だって「調子が良い日」だから。だから不安はあまりない。
少なくとも「自分が本来持っている能力は出し切れる」と思える日だ。
自分が本当の自分でいられる日なのだ。

しかし0時を越えてしまうと話は別だ。0時を境に「調子が悪い日」に突入してしまう。
文章の内容、スタンプの使い方、顔文字の有無、すべてが間違っていて見当外れで馬鹿げているようにしか思えなくなる。全てに自信がなくなってしまう。
相手から「なにこの文章。中村さんって全然つまんない」そう思われている気がして、やりとりするのが怖くなってしまう。

電話だともっとキツイ。
調子が良い日に友人と電話をしていたとしよう。たまたま23時30分ぐらいに電話が始まって、それが長電話になって0時を越えたら?

僕は怖くてケータイの時間を見ることができない。もし0時を越えてしまっていたら「調子が悪い日」になってしまう。急に僕は自分が話している内容、選んだ言葉、相槌、全てに自信がなくなってしまう。

だから時間を見ずに僕はこの電話を乗り切ろうと思う。だけど時間を見ずにいるとだんだん不安になってくる。「本当はもう0時を越えていて、僕は調子が悪い日に切り替わっているんではないか?」「ということは今僕が喋っている内容は全て見当違いで相手に『なにこいつ?意味分かんないし全然つまんない』と思われているんではないか?」そんな考えが頭をよぎってしまう。

時計を見ても見なくても僕は怖くてたまらなくなるのだ。

ちなみに「調子が悪い日」に友人と電話をしている時は「やばいな...今日の僕はいつもの僕じゃないから相手に『おもしろくない人』って思われる可能性がある。それが怖くてしんどいからあまり話したくないな...」って思いながらも頑張って話す。
日付が変わるとほっとする。
「よし...今から僕が喋る内容はまともだろう...僕の脳裏に浮かんだ言葉、その中から選んだ言葉は間違いではないだろう...」
とほっとした気持ちになる。

雰囲気は伝わっただろうか?
これが僕の病気だ。

これが中3(高1?)からずっと続いている。
いや正確に言うとこれにかかっていない時期もあった。

なにか身近に事故が起こったり、この病気よりも自分にとって関心度が高い出来事が発生すると、生きることで必死になって、この病気のことを忘れてしまうのだ。

この病気を忘れている時は少し幸せな気分になれる...ような気がする。たまに病気のことを思い出しても「僕はもう、あれを卒業したんだ」と言い聞かせることによって、頭の中から消すことができる。

この病気が再発する時はたいてい決まっている。
今日何か良いことがあって、次の日嫌なことがあって、その次の日良いことがあった,,,たまたまそんな偶然が重なると、この病気のことを思い出してしまい「調子が良い日悪い日」と「たまたまの幸不幸」を結びつけてしまう。

物事には平均回帰というものがあって、基本的に、良いことが起こると、次に普通な出来事や嫌な出来事が起きてしまうものだ。

というか確率的に、良い(悪い)ことが続くというのはあまりないので、良い(悪い)ことがあれば、次に「悪い」(良い)あるいは「普通」と感じる出来事が起きるのはとても自然なことなのだ。

頭ではそう分かっている。きちんと理解しているつもりだ。
だけど実際にそういった良い→悪い→良いなどの偶然が重なってしまうと、そこに過度の関連を見出してしまって、病気が再発してしまう。
そしてその病気は一定期間続いてしまう。
そしてまた身近に事件や重大な出来事が起きると、この病気のことなどすっかり忘れてしまう。そしてある程度の期間が経つとまた思い出して再発してしまう...その繰り返しだ。

僕は医者に質問した。

「身近に事件が起こったり、より重要な出来事が起きると、この病気のことを忘れてしまうんですが...忘れてしまうってことは、これはたいしたことじゃなくて、【本当の鬱】【本当の精神病】とは言えないんですかね?」

僕は不安だったのだ。本当の鬱や精神病が「たまに忘れてしまえるものなのか」ということが。たまに忘れてしまえる時点で、僕の鬱や精神病は僕が勝手に作り上げた偽物なのではないだろうか?と。

先生はこう言った。

「いや...そういうもんですよ。鬱や精神病は緊急時には忘れてしまうもんなんです。忘れたからといって、それが偽物、たいしたことではないもの、という風には言えません」

僕はほっとした。「そうだよね!」「さすが先生!」と思った。

ふとしたことで忘れるからといって、それが「たいしたものではない」ということにはならないのだ。

僕は自分が、社会や医者からかまってほしくて、詐病、言わば「不思議な症状を意図的に作り上げた」と思われるのがつらかった。

人間は誰でも自分のことを特別な人間だと思いたい生き物だ。
そして精神病は、何もない人間にアイデンティティを与えてくれる麻薬のような側面もあると思う。僕は普通に人と喋れる人間が自分のことをコミュ障と言ってみたり、普通の人間が特別な人間になりたくて、病名をもらうために精神科に行ってみたり...という「ファッション鬱」が苦手だった。

でも僕自身、自分がファッション鬱なのかもしれない、【本当の鬱】ではないのかもしれない、という不安を抱えていたので、医者から「あなたは脳の病気です。本物です」と言われた時は嬉しかった。
ほっとした。
「あなたは本物です。偽物ではないです。特別な人間ですよ」
そう言われた気がしたから。


さて、僕はこんなクソみたいな病気を抱えたままなんとか生きてる。
社会の底辺で必死に生きてる。幸せになるために。

僕は高校生の頃、当時唯一尊敬していた大人、信頼できる大人にこの症状を相談した。なんて答えてくれるんだろうと思った。

彼の回答は「ちゃんと寝ろ」だった。

ちゃんと寝ていた。

しかし今思えば彼の回答も間違えではなかったと思う。

というか、いきなりこんな意味不明な症状を打ち明けられて「ちゃんと寝ろ」以外にどんな回答ができるって言うんだろう?
僕は彼にどんな答えを期待していたんだろう?

僕はこの病気を抱えながら今後の人生を生きるんだろう。
時に病気のことを忘れながら。

中学を卒業してからいじめられることはなくなった。

たぶん人と距離が近づくのが怖くて、無意識にある程度距離を置く癖がついたからだろう。
いじめられることはなくなったが、人と仲良くなることもなくなった。

でもそれはそれで楽しい。

友達がいない人生。他人と仲良くなれない人生。
ひとりぼっちの人生。

それはそれで楽しい...のかもしれない。

僕はこれからも自分なりに必死で生きていく。

というか「自分なりに必死で生きていく」以外にどんな生き方があるっていうんだろう?

必死で生きたその先に「何か」が見つかればいいなと思う。
何か見つかるだろうか?

僕は何かを見つけることができるだろうか?

長文読んで頂きありがとうございました...